やめたい

 

「もうこれでやめようかな」

時々私はこうやってかまってちゃんのように口に出してしまうことがある。

 

推しを見ると辛くてしょうがないことを私はずっと誰かと共有したいと思っている。

どこが好き?と言われると辛いことも、なんでおたくしてるの?と言われると考えすぎてしまうことも、大きい仕事良かったねおめでとう、と言われると不安で眠れなくなることも。

 

私は中途半端で悪いおたくだ。

推しにお金を使う事を惜しまないと言っても、自分の生活は大事。結局自分が一番可愛い。どれだけ推しにお金を使いたくても、自分が死んだら意味ないと思っている。誰かの為にというか、自分のために。

稼いだお金の大半を推しに使ってるなんて嘘だ。結局生活費の方がかかるし、仮に私が切り詰められるまで切り詰めて生活をしたら推しにどんなに高いものをあげるんだろう。そしてそれを貰った推しはどんな顔をするんだろう。

 

結局プレゼントなんて自己満足でしかない。優越感を手に入れるだけで、大事なものは何も手に入れていない。なんで自分はそれを分かった上でいつも推しにあげるプレゼントについて真剣に考えて、悩んで、また買ってしまうんだろう。実際私は中途半端で最低なおたくだ。だから、優越感が欲しいし、推しが喜んでいるか分からなくても、見ていると勘違いに勘違いを重ねて、やめられなくなってしまった。もっと真剣に推しの為に生きられたら、きっとどこかのタイミングでやめられるに違いないのに、いつだって中途半端に、推しに甘えたいだけなのかもしれない。

 

こうやっておたくの在り方を考えては悩み、やめたいと口にしては、いつも推しに元気づけられている。推しを見ると苦しくなったら、それはちゃんと好きなのか、本当に辛いのか判断するべきだと思う。私はまだ、多分好きでしょうがなくて、使命感と少しの優越感を織り交ぜながら、また推しのためになることを考える。

 

こんなおたくなんてこの世にいっぱいいて、私だけじゃないことは分かっています。

 

私は推しを見ると辛くなることを私はずっとずっと誰かに喋りたいと思ってました。