野ブタ。から深読みしたオタク

 

だからなんだって言うんだ、そういわれたら終わりの世の中で、この記事を読んでる皆さんは好きな人を追いかけてますか?すみませんこのブログは誰かしらが好きな人が読んでいると思ってます、私が予想する読者層です。遅れました、ぴょん太郎です。

 

言われたことないですか?親でも友達でも。そんなもん追いかけて何の得になるの?とか、だから何なの?とか。私は言われたこあります。そんな人を好きで、プレゼントあげたりとかして、何の意味があるの?楽しいことある?

 

逆にこういう人いないですか?

 

テレビや世の中を見ても憧れのあの人がいないのは楽しいですか?流行りのドラマとバラエティーを見て、友達の話についていくようなひと昔前の高校生のような人は今でもいるんですか?

 

喧嘩したいんじゃないんです。気になってるだけです。こんな話をすると今話題になってるあれを思い出します。

 

 

今から12年前の2005年大ブームになった

野ブタ。をプロデュース

 

自分自身を演出し、人気者として君臨する2年B組・桐谷修二、周囲をうまく盛り上げ、まさにクラスのリーダー。しかし本当は表向きは仲良く接している周囲の人々を見下していた。その修二にも苦手な人物が。クラスでも浮いていて、少し変わっている草野彰。実はお金持ちという設定もある。ある日、その二人のいるクラスに転校生がやってくる。その名も小谷信子。修二とは正反対の暗い女の子だった。そして彼女は転校してくるなりいじめの対象になってしまう。そんな時、彼女を人気者にするプロデュースを引き受け…。

 

私もあの頃は修二派で、あのドラマを見た人は全員、あのスクールライフに憧れていたことと思います。でもよく考えたら私が好きだった修二には趣味がない。趣味といえば、クラスの頂点にいることと、クラスの雰囲気を良くすること、そして野ブタのプロデュース。

よく考えたらあの頃大好きだったドラマの主人公は皆、日常が趣味みたいなもので、たとえ大好きな人がテレビの中にいなくても、青春をなんとかそれなりに謳歌している、ただの高校生。

 

人に合わせることが良いとされていたあの頃とは違い、今は何かしら趣味を持ち、人に合わせながらも、個性が必要とされるこの時代。確かに私のようにここまで深入りして、オタクと呼ばれる人種になれとは言いませんが、今の時代、自分を主張するものがもしかしたら必要なのかもしれません。でも逆に、ひと昔前の修二のように、日常を遊びにして、友達に合わせ、社会に合わせ、でも世の中を変えようと努力するような青春を謳歌するのも良いかもしれません。あくまで、人を傷付けず、自分を見失わない程度に。もう一度今あのドラマを見たら、感動で涙が止まらないんじゃないかという位、深読みすればするほど修二の必死さと本当は人思いで自分を犠牲にしてしまうところに泣けてきます。

 

何が言いたいんだろうこの人は。それはですね、別にオタクなんかしなくても楽しいことはいっぱいあるし、オタクでいる必要はない、ということです。個性は確かに必要で、人と違うことは今はもしかしたらトップに立つ条件かもしれない。だとしても自分を失ったら終わりです。だからもう好きじゃない、と思ったら終わりたい時に終わらせる。多分それが正解です。ずるずる引きずると結局自分は何がしたいのか分からず、それが無くなった時の恐怖すら感じる。だから本当はオタクなんていつだってやめられて、身につけているアクセサリーとなんら変わらないものです。楽しいことを他に見つけたら両立するも良し、どちらかを捨てるのも良し。本当に好きな人とそうじゃない人の違いは自分にしか分かりません。

 

それでも私はまだ、本当に好きな人とオタクを両立して行きたい。あの頃修二が言っていたように、この世を動かす人がいるなら、その人が売れさせようと思うまでまだやっぱりオタクを続けなければいけないなと思っています。

 

なんだこのブログ。タイトル詐欺みたいで申し訳なくなってます…。あ、野ブタ。には私の推しも出てるので是非、若くて見てないよって方も、久々に見たいという方も見てください。

 

ぴょん太郎(若葉竜也情報) (@taro__pyoon) on Twitter