雪が綺麗と笑うのは

 

  春が来たなと通う道に咲く桜を見て思い出していたあの頃に想いを馳せています、どうもぴょん太郎です。

 

  なんと言っても春はあまり好きじゃない。

 

  学生なら卒業、入学、とイベントごとが多すぎるし、社会人なら面倒だし、花粉だって凄いし、来たる梅雨の面倒臭さを思い出しては憂鬱になる。春一番が掃除したてのサッシの窓に〜なんて歌ってるキャンディーズには関係ないだろうけど、私は春が来ることにおかしくって涙が出そうです。春なんてろくなことないよ。

  春の歌なんて悲しいことを笑い飛ばそうみたいなことしか言わないし、春服って困るし。結局皆が大好きな推しの写真は夏か冬って相場が決まってるし。

 

  先日、twitterの方でアンケートを取らせていただきました。答えてくださった方ありがとうございました!

 

「夏か冬かと言ったらどちらが似合う人が好きですか」

 

  結果は以下です。

 

夏:17%

冬:83%

 

  圧倒的冬の勝利!!!いやぁ皆さん、冬は強いですね。私もなんてったって冬派の人間です。冬の魅力を語る前に、夏の肩を持っておきます。このままでは夏は完全なるピエロ、可哀想!

 

  夏だ!海だ!女だ!みたいな古い言葉は皆さん使わないのでしょうか。こんなこと言っても私も使わないんですけど。夏が似合う人。とても魅力的ですね。勝手に夏が似合う人のイメージで語らせて頂きます。

 

  さて、太陽に照らされる暑い夏。外へ出るのも嫌になるくらい家の中は涼しくて居心地が良い。そんな時、夏が似合う人がいてくれたら。まず、彼は車が似合います。海までドライブ行こうなんてベタな誘い文句で、彼は涼しいけど何もない家から連れ出してくれます。青い海に青い空、それが似合う彼。昼はキラキラした一番熱い夏を過ごして、夜は花火でコンクリートに文字を書いたりして、ちょっと子供なところがある彼の可愛さにあなたはもうきっとメロメロ!

 

  乙女ゲームのやりすぎだか、少女漫画の読みすぎだか。なんでこんな空想のような人物像しか書けないんだろう。夏は結局、柑橘系の香り。

 

 

  お待たせしました、冬です。

  冬は世間的に幸せのクリスマスと悲しみの別れがつきまとうようで。悲しいことを思い出す方もいるんじゃないでしょうか。同時にプロポーズの時期でもあるらしいですね。

 

  雪が降っていると寒くて家なんか出たくない、なんていいつつあなたの大好きな彼から連絡が入ると出て行きたくなってしまう。寒いはずなのに何故か冬は外に出たくなってしまう。これ分かりませんか?電車に乗って繁華街。街行くひとりの人は少し寂しそうに、2人なら楽しそうに歩く人達を横目に誰よりも幸せそうに歩く。ベタにポケットに手を入れることはしないけど寒さは共有して、結局最後には暖かい場所に戻る。寒いね、と笑う彼にあなたはもう心を奪われています!

 

  こんな冬でいいのだろうか…

 

  私が思うに、半袖より長袖のニットが似合う人の方が彼氏にしたいランキングは上位なのではないか。マフラーとか暖かくする道具とウィンタースポーツが似合う人は最強なんじゃないか。個人的見解ですが、これは結局夏より冬が似合うを一番象徴してるんじゃないかと思ってます。雪が綺麗と笑うのは君がいい、の方がドキッとするんですよ、多分。

 

  サマースポーツ野郎よりウィンタースポーツ野郎の方がなんとなくちょっとだけ好感が持てるのは私だけなんでしょうか。このブログ、答えは出なかった…。

 

  冬が似合う人が好きな良かったらツイッターのDMにでも、理由、送ってくれませんか。こっそり二人きりで議論を交わしましょう。

  あ、これ新手のナンパです、来世男になったら使おう。でも本当に送ってくれたら嬉しいです。

 

 

ぴょん太郎(若葉竜也情報) (@taro__pyoon) on Twitter

B専だけどやっぱりイケメンが好き

 

 

   あの頃、花より男子の西門さんが好きだと言っていたあのクラスの女の子は元気かな。私はあの中で誰も選べなかったし、今でも選べないよ。あ、ぴょん太郎です。

 

 

「私って〜◯◯なところあるよね〜」

っていうそこの女。すっぴんでも可愛いよ〜って言う女と、すっぴんをSNSに上げる女と同じぐらい信用できない。

 

   じゃあこんな女はどうですか。

 

菅田将暉前から好きだったけど有名になっちゃったからなあ、でもかっこいい♡♡」

 

   お前が目をつけたから有名になった訳じゃないよ。わざわざ前から好きだったって言う必要はない。別に菅田将暉を前から好きだった人のことを言ってるんじゃなくて、逆に尊敬している。仮面ライダーから追いかけてる人、凄いね、ここまで売れる人を見極められたのは本当に凄い。でもこういうツイートする人ほど結局「前」が「前」じゃない。せいぜいあれだろ、35歳の高校生。ところで、菅田将暉の古参ってどこからなんでしょうね。前から好きだったの好きはせいぜいかっこいい終わりなんだよ、追いかけてる人と一度真剣に対談して欲しい。

 

 

「よく私B専って言われるんだよね〜◯◯くんめちゃめちゃかっこよくない?え、知らない?」

 

    これ!今日言いたいのはこれなんですよ。自分をB専に仕立て上げる人。お前は自分の好きな人を堂々とブスって言ってるんだよ、分かってる?あと最後の「知らない?」っていう一言。私はまだ誰も知らない人を好きで、かっこいいと思ってる。凄いでしょ?って言わないだけで出てるよ、間違った優越感。まずお前の有名じゃないからかっこよくないっていう考えも間違ってるよ。この世は顔だけじゃないしね。B専って何だよ、偉いの?人とは違うことがそんなに偉いの?わざわざ好きな人の格を下げる言い方しなくても他の言い方があったんじゃないかな。結局三浦翔平のことかっこいいと思ってるでしょ?

 

   ついお前とか言ってしまいました、取り乱してしまいすみません。

 

 

   あの頃あの子は西門さんを選んだから、他の花沢類や道明寺司を選んだ人とは違う、優越感があったのだろうか。今あの子はもしかして、菅田将暉を好きだということに恥ずかしさを感じて、山田孝之に走っていたりしてね。

 

 

 

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タバコやめるよ、

 

 

   こんな面白くないブログを読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。更新頻度はとても低いですがまだ読み続けてやって下さい。急にお礼を言いたくなりました、ぴょん太郎です。

 

 

 

「触れたい」と思うことは罪でしょうか。

 

 

 

   こんな質問を前にされた事があります。

 

   率直にいえば多分、罪ではないです。でもその想いからどこまで行動に移すかによって罪になるかそうでないかは決まるような気がする、みたいに答えた気がします。

 

   好きな人に触れたいと思う気持ちと、好きな人と好きなものを共有したいと言う気持ちは同じようで違う。

   じゃあ好きな人のために何かしたいという気持ちと好きな人のために何かをやめたいという気持ちは同じなんだろうか。

 

「俺は好きな人がタバコやめろって言ったらやめるよ」

 

   そういう男ほど自分は彼女のためを思っているフリをしているだけで、内心では彼女のためを思う自分に酔っていることがある。タバコやめろの理由が子供のため、愛する人の健康のためだったとしたらそれはもしかしたら本当の愛かもしれないけど。だったら愛する人が出来る前にタバコなんかやめちまえよ。

 

「急に産気づいて病院に俺が連れて行かなきゃ行けない時があるかもしれないから、酒は飲まない」

 

   これは明確な理由を提示して、相手のためをよく考えていて愛を感じる。ついでに未来も。

 

 

   好きな人のために何かしたいというのは、言ってしまえば愛の「ついで」のようなものだと思っている。愛を示し、彼女を喜ばせるための「ついで」。でも何かをやめたいという気持ちは相手のことを思い、愛ゆえの行動で、女子は結局それが一番嬉しいんじゃないかと思う。

 

   でも好きな人が触れて欲しくないと言っているからやめる、というのは間違っている。触れられない愛なんていらない。そういう人はなるべく早く違う相手を見つけるべきだ。触れられない辛さを分かってない。きっとその子との距離はそのままな気がする。

 

   お前だって触れられない恋をしているじゃないかと読者の皆さんの声が聞こえてきそうですが、これは別です。「触れたい」と思っても行動に移す勇気がないしそんな身分でもない。身分違いの恋と言えば聞こえはいいでしょうか。

 

   そして忠告するなら、「触れられない」恋をしていることを分からずにしている人がいるなら早く、「触れられる」恋をするべきです。これがきっと最後の忠告です。

 

   君に近づこうとしたあの子は元気かな、とふと思いだしたりして。

 

 

 

 

宇宙一かっこいいのは君だよ

 

どうも、ぴょん太郎です。今日は毎日のように夜に変なことを考えている私の、その考え事の一つを。

 

 

ねえ、イケメンの基準って何?

 

すみません、おばさんみたいなこと言いました。若い子は全員同じに見えるのよね、隣の子だってちょっとかっこいいじゃない、ねえ。

 

誰だよ最初に実力派イケメン俳優って言い出したの。文句言ってるんじゃないんです。別に、実力派俳優でよくない?イケメンっている?確かに最近はイケメンの俳優ばかり売れる傾向にあるし、イケメンって付けた方がキャッチコピー的に女子が飛びつく最高のフレーズだと思う。でも、実力派俳優の方が良くないですか。本人、俳優なんだからイケメンで評価されるより実力の方がいいだろうし。じゃあ逆に実力派俳優が全員かっこよくないみたいな変なのが生まれちゃうし。イケメンは悪くない!断じて悪くない!でも実力があってしかもイケメン!みたいなその高校のモテる男子みたいな感じが私にとって受け入れがたい。世の中結局顔なのかなあ。

 

しかもイケメンの基準って定まらないのに。この人かっこいい!って思うのは顔だけじゃないし、スタイルも性格もあるし。何かの番組で見た、「本当はかっこよくないと思う俳優」にかっこいいと思っていた人が入っていた、みたいなショッキングなことは私にだってあるし、友達に「かっこいいでしょ」と見せた彼氏が「うん…」と微妙な反応をされたりするし。よく考えたら全員のかっこいいが被ったら凄い。

 

だから何を言いたいのか。

 

それは自分のイケメンと隣の人のイケメンは違うし、人が好きな人と自分の好きな人が被ったらこの世は少子高齢化が進んで破滅するだろうし。自分の好きな人が他人に評価されていなくても、自分がいることでもしかしたら助けられるかもしれないし、自分だけが知っていればそれだけで救われる。実力派イケメン俳優だって最初に言いだした人がイケメンだって思った訳だし。それが違っていたとしても何も気にしなくていい、人それぞれ!世の中結局顔だとしても、その基準はバラバラなんじゃないのかな。

 

だからね、私の好きな人は今日も絶対私の中で一番の実力派イケメン俳優で、宇宙一かっこいい。

 

 

 

 

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野ブタ。から深読みしたオタク

 

だからなんだって言うんだ、そういわれたら終わりの世の中で、この記事を読んでる皆さんは好きな人を追いかけてますか?すみませんこのブログは誰かしらが好きな人が読んでいると思ってます、私が予想する読者層です。遅れました、ぴょん太郎です。

 

言われたことないですか?親でも友達でも。そんなもん追いかけて何の得になるの?とか、だから何なの?とか。私は言われたこあります。そんな人を好きで、プレゼントあげたりとかして、何の意味があるの?楽しいことある?

 

逆にこういう人いないですか?

 

テレビや世の中を見ても憧れのあの人がいないのは楽しいですか?流行りのドラマとバラエティーを見て、友達の話についていくようなひと昔前の高校生のような人は今でもいるんですか?

 

喧嘩したいんじゃないんです。気になってるだけです。こんな話をすると今話題になってるあれを思い出します。

 

 

今から12年前の2005年大ブームになった

野ブタ。をプロデュース

 

自分自身を演出し、人気者として君臨する2年B組・桐谷修二、周囲をうまく盛り上げ、まさにクラスのリーダー。しかし本当は表向きは仲良く接している周囲の人々を見下していた。その修二にも苦手な人物が。クラスでも浮いていて、少し変わっている草野彰。実はお金持ちという設定もある。ある日、その二人のいるクラスに転校生がやってくる。その名も小谷信子。修二とは正反対の暗い女の子だった。そして彼女は転校してくるなりいじめの対象になってしまう。そんな時、彼女を人気者にするプロデュースを引き受け…。

 

私もあの頃は修二派で、あのドラマを見た人は全員、あのスクールライフに憧れていたことと思います。でもよく考えたら私が好きだった修二には趣味がない。趣味といえば、クラスの頂点にいることと、クラスの雰囲気を良くすること、そして野ブタのプロデュース。

よく考えたらあの頃大好きだったドラマの主人公は皆、日常が趣味みたいなもので、たとえ大好きな人がテレビの中にいなくても、青春をなんとかそれなりに謳歌している、ただの高校生。

 

人に合わせることが良いとされていたあの頃とは違い、今は何かしら趣味を持ち、人に合わせながらも、個性が必要とされるこの時代。確かに私のようにここまで深入りして、オタクと呼ばれる人種になれとは言いませんが、今の時代、自分を主張するものがもしかしたら必要なのかもしれません。でも逆に、ひと昔前の修二のように、日常を遊びにして、友達に合わせ、社会に合わせ、でも世の中を変えようと努力するような青春を謳歌するのも良いかもしれません。あくまで、人を傷付けず、自分を見失わない程度に。もう一度今あのドラマを見たら、感動で涙が止まらないんじゃないかという位、深読みすればするほど修二の必死さと本当は人思いで自分を犠牲にしてしまうところに泣けてきます。

 

何が言いたいんだろうこの人は。それはですね、別にオタクなんかしなくても楽しいことはいっぱいあるし、オタクでいる必要はない、ということです。個性は確かに必要で、人と違うことは今はもしかしたらトップに立つ条件かもしれない。だとしても自分を失ったら終わりです。だからもう好きじゃない、と思ったら終わりたい時に終わらせる。多分それが正解です。ずるずる引きずると結局自分は何がしたいのか分からず、それが無くなった時の恐怖すら感じる。だから本当はオタクなんていつだってやめられて、身につけているアクセサリーとなんら変わらないものです。楽しいことを他に見つけたら両立するも良し、どちらかを捨てるのも良し。本当に好きな人とそうじゃない人の違いは自分にしか分かりません。

 

それでも私はまだ、本当に好きな人とオタクを両立して行きたい。あの頃修二が言っていたように、この世を動かす人がいるなら、その人が売れさせようと思うまでまだやっぱりオタクを続けなければいけないなと思っています。

 

なんだこのブログ。タイトル詐欺みたいで申し訳なくなってます…。あ、野ブタ。には私の推しも出てるので是非、若くて見てないよって方も、久々に見たいという方も見てください。

 

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好きか嫌いか

 

ぴょん太郎です。面白いことも、真剣なことも言えないブログを書いています。強いて言えば思うことをただ書くブログ、といったところでしょうか。

 

変なことを言いますが、誰かの言葉を借りるとすれば、私はこの世の中は努力した人努力しなかった人に大きく分かれると思っています。どちらが好きかと言われれば私は前者がとてつもなく好きです。しかも、自分ひとりで頑張った人より、みんなで頑張った人の方が好きです。

 

私の場合、その人の生き様を見て、人を好きなることが本当に多い。少女マンガで言えばクラスの花壇に水をあげている君を見て好きになったらするタイプ。

 

言い方は間違っていると思いますが、下積みが長い人程惹かれます。努力したぶんだけ報われないことをよく知っている人が好きです。分かっているのにやめられない、そのしつこさが好きです。

 

世の中って結局、頑張った人だけが報われる世界じゃないことはまあ誰でも分かっていると思います。なんで、なんで、私にはできないんだろう。そう思っても追いかけ続けて努力する人の弱さと強さは計り知れません。

 

でも、努力してもどうせ、出来ないんだから、頑張っても出来なかったし、と思う人は努力した人ではないと思っています。それが叶ったら努力と認めてもいい、と誰かが言っていたような気がして。叶うまで努力を続けた人が努力したと言っていい。

 

でも世の中には、努力したくても出来ない人がいます。病気とかそういうことじゃなくて、いくら努力したくても、何故か一生懸命になれない人っている。責めるつもりは一切ありません。寧ろその人達の中には人の努力を羨ましいと思い、その成功を誰よりも喜べる人がいることを私は今までの人生で学んだような気がします。

 

悩めば悩むほど人は強くなる、と本当に学びました。悩む人は弱さと強さを持っています。

 

生きているという自覚も無しに、見られているという自覚も無しに、堂々と人ごみを歩く人達を見ているとこんなことを考えます。

 

 

私は、努力をした人が好きです。それが誰とは言わず、今頑張っている人が本当に好きです。

 

 

何故こんなことを言い出したのか、それは今、とてつもなく頑張っている人が読者の方にいると悟ったからです。

 

 

 

ぜんぶ、ぜんぶ、君のせいだ

 

この世界では尊いものが沢山、沢山、失われていく。それは人それぞれであることはみんな分かっている。けれども自分にとって尊いものが失われた時、人に言いたくなるのは何故なんだろうと考えた。分らなかったけど、今回私はその1人でした。

 

 

尊いものは常に、少しずつ少しずつ消えていく。近づけば近づく程きっと消えていく。

 

 

私にとって2016年は潮時の年、だった。気になっていたあの子は世に出て二ヶ月で仕事を辞めてしまったし、大好きなものにかけなければいけないお金が増やされた。仲間だと思っていたあの子は裏切ったし、同じ趣味の子は少しずつ、好きなものから離れていったような気がする。全部、ここで変えなければならない、という潮時だった。なのに今思えば、私だけ取り残されていた。潮時であるという事実を受け入れず、今まで通り、何事もなかったかのように振る舞っていた。もしかしたら心の奥底で変わって行くことの怖さを感じていたのかもしれないけど。

 

 

これは自分の中で変わって行くことの怖さを知れた良い機会だったのかもしれない。

 

 

2017年。ネットで見かけた解散騒動。調べれば、メンバー間での価値観の違い、対立が原因だという。2016年にもメディアに沢山出ていたがそのような素振りは一切せず、ただ、仕事をし、何事もないかのように仲良く、していたらしい。当の本人達は嫌い合っていないとは言っているが、本当のところは全く分からない。

 

私だって少しは見ていた。この人たちの仕事ぶりを見て、ああ、凄いな、こんなに一生懸命なんだ、羨ましい、とすら思っていたくらいで。仲が悪いだなんて一切分らなかったし、もし仲違いがあってもすぐに仲直りしそうだな、と誰しもが思うような、そんな感じだった。

 

でも、解散したのだ。事実は解散。

 

 

そして私は気付かされた。変わって行くことがこんなに怖いのか、と。そして仲の良かった友人グループで誰も気づかない間にそのうちの2人が埋められない溝を作るほどのトラブルを起こした時のことを思い出した。ああ、これが変わって行くってことか。

 

私にとっての尊いものは「変わらないもの」でした。これが私にとっての尊いものになったのは全部君のせいだよって私が好きになった推しに言いたい。

どんなに君に仕事がきても、どんな君の周りに大人が増えても、どんなに忙しくなろうとも君は変わらないでいて欲しいな、と図々しくも思ってしまう。その言葉遣いと話し方、文字の書き方も全部。変わらないということがどんなに大事かは分からなかったけど、尊いということは君から教わったんだよ、と言いたい。尊いものに近づくとそれは身近になって尊いものではなくなってしまう、ということもなんとなく分かったような気がする。

 

結局、飽きられない私の性格上、今の所、何かが変わっても好きでいる以外に選択肢がない。けれども本当に変わってしまうのだとしたら、それは私が気づかないところのような気がして怖い。気づいた頃にはもう遅く、取り返しのつかないことになっている。こんな恐怖に取り憑かれているのも全部、君のせいだと思う。

 

責めてる訳じゃない。これは恋を相手のせいにする常套手段と一緒で、幸せの味がする言葉として使っている。君に出会えたから、私は本当に大切なものに気づけたよ、本当にありがとう、という意味でしかない。

 

 

 

最後にこれを踏まえた上でもう一度。

 

 

ぜんぶ、ぜんぶ、君のせいだ。

 

 

ぴょん太郎(若葉竜也情報) (@Ryuya_matome) on Twitter