ブログを休み、また始めた。

 時々、思い出すのは、初めて大好きなブロガーさんの記事を読んだ時の衝撃。あの綺麗でなんともいえない文章力と人を惹きつけるあの言葉遣い。私はその人を真似している訳では無いし、近づけるとも思っていません。でもどっかで目指しちゃってる寒いところが私にはきっとあるんじゃないかな、と今キーボードをカタカタさせる音から連想しています。初めて曲の歌詞に感動して、リピートして、掃除しながら口ずさむ位、恥ずかしくてついやってしまう。

 

 そしてこれを思い出すたびに自分の恥ずかしさに気づく。このブログを始めてから少し、経ちました。私はこれを本当の職業にするつもりも、趣味としてひけらかすつもりもありません。ドラマやアニメの主人公が授業中にクラスメイトに隠れて漫画を書く位恥ずかしく、誰にも見せられないものです。でもこうやって隠れて書いているブログを人に評価される喜びも知ってしまった。アクセス数の伸びと喜びと恐怖が同時に込みあがってきて、喜びながらこの恥ずかしい文章が公開されていることへの恐怖が止められない。

 

 忙しさを理由に私はこの恐怖から逃げることにしました。実際めちゃくちゃ忙しくて、思ったことを文章に起こす気力も時間もありませんでした。でも、ふと電車の中でとある記事を読みました。その記事はとんでもなく衝撃的で、初めてあのブログを読んだときと一緒でした。決して綺麗ではないけど人を惹きつける文章力、怖くなるくらい共感できて、その日そのことについて真剣に考えてしまうくらい残る。そこで思いました。ブログをまた書きたい。

 

 そしてこの数日間当初のような更新頻度。私生活のことがあるのでここまでは続けられませんが、またこうやってブログを暑くて風の通らない部屋で書くような夏を迎えることになりそうです。

 

 ちょっとした時間にアイスを食べながら、外が雨ですることが無いときにも、こんな意味のないブログを読んで頂けたら幸いです。

 

 

 あと、なんでブログの名前とか変えたんですか、と聞かれたのですが、検索の引っ掛かり方、記事の形態などを変えたので、雰囲気に合わせて変えました。心機一転、全部変えてみたかった、という気持ちも少なからずあります。

 

 

 

気づいたのが遅かった

 

  お元気ですか?何をしてますか?

 

  これ、ある歌の最初なんですけど、多分こんなんで年齢ってバレるんですかね。小さい子達は知らないだろうなー。こんな感じで手紙を推しに書いたことがあります。

  よく考えたらちょっと気持ちが悪いような手紙を私は彼にずっと渡していたんだと思うと、時々奇妙な嫌悪感を覚えます。なんて自惚れた手紙で、お前は推しの何でもないのに。

 

  いつの手紙だか忘れましたが、「気づいたら好きになってた」と書いたことがあったような気がします。でもこれは言い方をよくしただけで結局は「気づいたのが遅かった」と書きたかった。なんてよくある話で笑っちゃうよね。

 

  気づいたら好きになって、嫌いになって、生活の一部になって、生きてる意味になって、もう離れられなくなってしまった。こんな生活もうやめたいと思ってもなぜかやめられなくて、一度海外にでも飛んで忘れたい。ここまで思ってるのは気持ち悪くて笑えないかもしれなくても、私は君のことが本当に好きなんだよーと伝えたいのに君はどこにもいないじゃん!こんなこと言ってるバカな奴がこの世にいると思ってくれたら私は明日からちゃんと生きるからと君に言って困らせたい。

 

   怒りを誰かのために愛情は自分のものにしたくなってる。気づいたのが遅かった!!

 

何書いてるか分からなくなったので次はちゃんとしたブログかけるといいな!おわり!

 

 

 

地獄へようこそ

 

  あ、どうも元気にしてます。ぴょん太郎です。

 

  ついこの間、推しのバスツアーとか旅行とか、ファンが鬼のように集まるクソイベの話を聞いたんですけど、あれって地獄の空間じゃないですか。タイトル通り、地獄へようこそなんですよ。

 

  私なんかが語っていいものか全く知らないんですけど、どうでもいい事務所の意向に惑わされるおたくを見てるのでちょっと、言いたいことがあるんだよ!!!

 

  なんで事務所ってあんなに身勝手なのかな。おたくのことを本当の財布にしか思ってない。いや、マネとか優しい人いるけど、上の方の人は利益しか考えてないんだなと思ったりする。確かに、利益がなきゃ事務所潰れちゃうし、私にお金があれば、事務所をもっと大きくしたい、ゲームみたいに。育成ゲームだったらやり込んで売れっ子俳優の所属する事務所に仕立て上げる。

  だいたい、バスツアーとかって推しがやりたいって言い出すおたくのことを分かっていないある意味天使のような場合もあるかもしれないけど、事務所が推しを差し出して金を巻き上げてるように見える。同厨が好きで、同厨と幸せを分かち合いたいタイプのおたくなら…まあ、私はわからないんですけど。(こういうおたくは心の中でそのレスを送った推しじゃなくてそのおたくを呪うと考えています)何が楽しくて同じものを好きというだけでバスに乗せられて普段なら絶対行かない金のあまりかからない土地に行かなきゃいけないんだよ。嬉しいの感情しかない単純なおたくなら(ディスってません)推しが同じ空間にいるだけでハッピーラッキー☆ミ」と考えるかもしれません。でも、私は推しが今日も生きていることにハッピーラッキーしてもそんな地獄のような空間で推しをみたいとは思いません。あ〜叩かれる。叩かれるほど読まれてないけど。

   昔現推しじゃない人のカラオケイベントのチケを界隈で買い占めてたことを思い出す。みんなで買い占めても怒られなかった。あれはただのその界隈の酒なしの飲み会に推しが混ざった感じ。りあこじゃなきゃ私だってガチな人とは友達になりたいです。あ〜楽しかった。

 

  私みたいなやつは舞台も何もかも全員推しのファンじゃないと信じ込んで、私意外見えないと思い込むので、被害は一切ないのですが。バスツアーもやんないしね。

 

  だから結局、バスツアーとかするような俳優のおたくはその人のおたくになった瞬間に地獄へようこそ、なのです。

 

 

 

人生で推しに使う時間は無駄しかない

  このブログを推しがいない人が読んでいることは無いのはわかった上で、こんな話をさせて欲しい、という事だけ覚えていてください。タイトルの通りです。

  ただただ一般的な話をすると、「なんで好きな人のためにそこまでできるの?夫でも彼氏でもないのに。」と言われたことがある人ってかなりいるんじゃないかな。確かに本当にその通りで、一生頑張っても繋がれないし自分のことを分かってくれない男に時間を使うなんて馬鹿馬鹿しい。「私の推しはちゃあんと私のこと分かってるしいつもレスくれるし対応だっていいよ!最高!世界でいちばん愛してる!」という人も沢山いるんだろうな。けどそれって意味あるのかな。冷静に一般人の意見を取り入れると、今すぐヲタクをやめて他の事に金を使うか貯めるかして、自分に磨きをかけろ。お前のやっている事は全て無駄だ。で大丈夫でしょうか。あーつらい。

 

  そんなの分かってるし、それでもここがいい。と意志を強く持って反論出来る人はどれくらいいるのでしょうか。私は分かっちゃいるけど辞められない、いつまでこうしてるんだろうと思う位の人間なのでこうやって反論はできないんですごめんなさい。推しのプレゼントを選びながら友達に言われた言葉を思い出しては辛くなって辞めようかなと思うことがあるし。でもこれって私にとっては成長だと言われてしまった。これがつい最近の出来事です。

  ついこの間まで推しのことしか考えてない、推しのことで泣いて喜んで、全てを捨てていた人が、推しのことを考えるたびに辛くなるなんて、これは卒業への兆しだと友人は思ってみたいです。でもごめんね、それは違うよ。拗らせてるって気づいてくれると嬉しいな。いつになったら私は推しに気づかれて捨てられてお金を貯め続ける日が来るのだろうと考えては、嬉しくなるくらい私はイかれてる。客観的に見る力はまだ残ってます、大丈夫です。でもこんな時に私はヲタクが向いてないと気づいてまた、推すのを辞めたくなる。所詮私は見返りを求める悪いおたくです。推しで病んで推しで喜んで、こんな悪いループから早く抜け出したいのが本心であるような気がして、まだこれを続けたい気持ちがあるような気もしてます。

  人生は短くて儚いなんてよく言ったもんで、早いようでなかなか過ぎないのが人生だと前に年寄りの偉い人が言ってました。だから無駄をしろってことじゃなくて、長いからこそなんでもやって本当に意味のある事に時間をかけろってことらしい。本当に意味のある事が今やっている事だとは思って居ません。これは全く。平均的な人生が楽しいとも、世界のトップの生活が楽しいとも思っていません。でも生活に娯楽を求めるのは悪い事じゃないのなら、その娯楽が推しに金を落とすこと、推しのために何かすること、推しのために時間を使うこと、なら何だっていいじゃん。でも言っておきたいのはそれより楽しい事は多分いっぱいあって出て行くものしかないこれはきっと無駄しかない。舞台や映画を見て得られる楽しさで充分だと思えるのが一般人の娯楽レベルだそうです。あと推しに気づかれるためにすることは娯楽ではなく、欲求を満たすだけで結局見返りを求めていること、らしいです。

 

  今心に刻むべきは人生で推しに使う時間は無駄しかない。(ただしこれは推しにのめり込みすぎた人の場合のみ)人生そのものを楽しむことの方がもっと大事だ。(これはある人の言葉から)みたいです。そんなの分かってるけど、辞めたくなって辞めたくなくなるのが結局のめり込むおたくの悪い癖。あーあ、辞めたいな。

俳優のSNSなんて嫌だ

 

朝起きて、枕元の携帯を見て、死にたくなる。

 

こんな経験、ありますか?

私は一週間に一度はあります。

 

今の世の中、SNSが普及し、世間の流行はSNSで作られ、消滅していく。若い人は皆SNSに操られ、時代の波に乗りながら流されていく。上手く波に乗れているように見えても、結局それは人が舵を取っているだけで自分はただ乗っているだけ。インスタの写真をどれだけお洒落に撮って、どれだけいいねを貰えるかを、今の若い人は常に考えて、時間をきっと無駄にしている。いや、こんなこと言っても私はインスタグラマーという称号は素晴らしいと思ってます。

 

この世の中に合わせて、俳優達もSNSに相当な力を注いでいます。SNSで有名になる俳優はいっぱいいて、ファンもそれに乗って、推しのSNSの普及に命を懸けて、世間と戦っている。今の世の中、結局SNSで有名になることが一番の近道だから、その近道を推しに歩んで欲しい。

 

で、本題です。

そのSNS、推しの都合で全部進んで行きますよね。夜中にSNSに写真をあげた推しに秒で愛のいいねとコメントを送る。通知が来たら皆とんでもない速さで、その瞬発力を競う。いや、皆分かってるんですよ、速さなんて関係ない。でも一番になりたい人っていっぱいいる。

あと人によりますけど、気づいたら投稿を消す俳優がいて、早く見ないと翌日消えてるなんてこともあります。このタイプの人のファンは大変です。いつあげるかも消すかも分からない推しの情報を追い続ける。

こんな風に私達は結局推しの1番と一挙一動が大事で、なんでも知っていたい。

 

そんな人の敵が「インスタライブ」

録画が残るLINELIVEならいいです。インスタライブって録画も残らないし、予告も無いし、コメントは流れるし、見ていることも退出も全部知られて。そして朝のインスタライブ通知でしにたくなる。

いつも必死にそのインスタライブの内容を追い続けるファンはなんと惨めで、でも真面目で、結局それが何にもならないことを知っていても続けてしまうのは、悲しくて虚しい。

 

推しが世間に見せる全てを知らないのだったら、SNSなんてやらなくていい。マネージャーさんの平等な情報が良い。無い物ねだりでしかないけど。

 

俳優のSNSなんて、ファンを苦しめるものでしかないから嫌だ。推しから貰う幸せがSNSだけなんて虚しいだけで、近づきたいのは怖いかもしれないけど、やっぱり直接幸せが欲しい。

こう思うのはやっぱり罪でしょうか。

 

 

 

夢見

お題「最近見た夢」

 

スロットで出てきたものを初めて書いてみた。

 

「最近見た夢」

 

これは現実世界で見た夢なのか、寝ている間に見たものなのか。夢は見るものではない、叶えるものだ、なんて言うけど、日本語って難しい。

 

最近寝ている間に見た夢は、確かやらなければやらないことをやる夢だった。朝起きて、やったような気がして確認するとやっていなくて、損をしたような気分になるこの手の夢が私は大嫌いです。やりたかったことをやる夢も同様です。やりたかったことを夢で出来たのならいいじゃない、という人もいるかもしれませんが、私的にはそれは損でしかない。それが夢の中ではきっと楽しいのに、起きたら虚しくなる気持ち以上のものはない。

 

「好きな人と結ばれる夢」

これは見ていいものなのだろうか。夢を見たら叶わなくなる、みたいにもう二度と私はその好きな人と結ばれることは無いのだろうか。勝ち組の人はきっと、こんな夢を見ること自体が負け組で、叶わないからそんな夢を見るのだ、と責めるような口調で言う。こんな夢を見ている時はもしかしたらまだ幸せになりきれないのかもしれない。

 

基本嬉しいことを夢に見ては喜び、悲しいことを見ては嘆く。人が現実で夢見るのは喜びしかないのだから、寝ている時くらい悲しいことを見させられてもしょうがない、かもしれない。

でもよく考えてみたら、夢以外に現実で悲しいことは数え切れない程あって、夢を見る時くらい喜んでいたい。

 

私はずっと夢を見ていたい。

最近見た夢は、「推しの仕事が決まって、人気になる夢」だったような気がした。

 

 

 

 

やめたい

 

「もうこれでやめようかな」

時々私はこうやってかまってちゃんのように口に出してしまうことがある。

 

推しを見ると辛くてしょうがないことを私はずっと誰かと共有したいと思っている。

どこが好き?と言われると辛いことも、なんでおたくしてるの?と言われると考えすぎてしまうことも、大きい仕事良かったねおめでとう、と言われると不安で眠れなくなることも。

 

私は中途半端で悪いおたくだ。

推しにお金を使う事を惜しまないと言っても、自分の生活は大事。結局自分が一番可愛い。どれだけ推しにお金を使いたくても、自分が死んだら意味ないと思っている。誰かの為にというか、自分のために。

稼いだお金の大半を推しに使ってるなんて嘘だ。結局生活費の方がかかるし、仮に私が切り詰められるまで切り詰めて生活をしたら推しにどんなに高いものをあげるんだろう。そしてそれを貰った推しはどんな顔をするんだろう。

 

結局プレゼントなんて自己満足でしかない。優越感を手に入れるだけで、大事なものは何も手に入れていない。なんで自分はそれを分かった上でいつも推しにあげるプレゼントについて真剣に考えて、悩んで、また買ってしまうんだろう。実際私は中途半端で最低なおたくだ。だから、優越感が欲しいし、推しが喜んでいるか分からなくても、見ていると勘違いに勘違いを重ねて、やめられなくなってしまった。もっと真剣に推しの為に生きられたら、きっとどこかのタイミングでやめられるに違いないのに、いつだって中途半端に、推しに甘えたいだけなのかもしれない。

 

こうやっておたくの在り方を考えては悩み、やめたいと口にしては、いつも推しに元気づけられている。推しを見ると苦しくなったら、それはちゃんと好きなのか、本当に辛いのか判断するべきだと思う。私はまだ、多分好きでしょうがなくて、使命感と少しの優越感を織り交ぜながら、また推しのためになることを考える。

 

こんなおたくなんてこの世にいっぱいいて、私だけじゃないことは分かっています。

 

私は推しを見ると辛くなることを私はずっとずっと誰かに喋りたいと思ってました。